1987年12月22日
尾崎豊さんは逮捕されました。
逮捕歴は何回?と思っている人もいるかもしれませんが、薬物での逮捕歴は1回です。
逮捕時の状況が妻 繁美さんの著書に書かれています。
1987年は『有明コロシアム』でのコンサートも有名なファン待望のツアーがあっていた年でした。
しかし9月末、突然コンサートは尾崎豊さんの体調不良(胃潰瘍)ということで急遽休止に。
この時に家族などのごくわずかな人達しか知らなかったことが薬による精神科への治療入院だったのです。
一ヶ月ほど立って病院から出た尾崎豊さんは、ご両親の反対を押し切り実家から自分のマンションへもどってきました。
当時交際していた繁美さんははっきりとした入院の理由を聞いておらず、でも様子が時々おかしいことに気づきました。
そしてたまりかねて朝霧市の実家へ相談し、両親と一緒にどうにかしてもう一度入院させることにしました。
しかし、病院を離院して出てきてしまったのです。
実家のお母さんが繁美さんにすぐに来てもらえないか連絡をしてきました。
繁美さんは朝霧の実家へ行くと、尾崎豊さんは心配するみんなの期待を裏切ってまた薬に手を出していたのです。
幻覚をみて黙ったまま。
お兄さんが警察に言おうといいましたが、繁美さんは止めたそうです。
尾崎豊 逮捕時の状況
1987年12月22日
午前9時過ぎ。
尾崎豊さんの実家のチャイムが鳴り、2階の尾崎豊さんの部屋に数人の刑事が入ってきました。
その場で逮捕。
刑事は一緒にいた繁美さんも疑い、「腕をみせろ」といって調べ、刑事たちは家中も捜索。
その後、家族みんなと繁美さんも戸塚署へ連れていかれたのです。
通報した父の想い
トイレで薬を見つけたのはお父さんでした。
お兄さんは警察に通報しようと言いました。
しかし、実際に逮捕当日の朝、警察(戸塚署)に通報に行ったのはお父さんでした。
お父さん(ご両親)の想いがありました。
もしお兄さんが通報したらその後の兄弟仲が心配されたからです。
尾崎家はとても愛のある家庭だったと知るほどに感じます。
取り調べ
警察での取り調べは朝の10時から夜の10時まで続いたそうです。
中でも一番一緒にいた繁美さんは疑われ、尿検査までさせられ、ようやく解放されたのです。
解放される時に尾崎豊さんと面会することができ、繁美さんが泣いていると彼は「泣かないで』と言っておでこにキスをし、刑事さんに怒鳴られたといわれます。
釈放
1988年2月22日東京拘置所から釈放。
懲役1年6ヶ月、執行猶予3年の判決が下りました。
釈放された時、東京拘置所の出口には500人ものファンとマスコミが殺到。
その時に着ていた白いセーターは、繁美さんが編んで贈ったものでした。
逮捕され拘置所の中で作曲した名曲は
『太陽の破片』です。
こちらのアルバムに収録されています。
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