吉岡秀隆と尾崎豊?
一見特につながりのなさそうなこの二人には一体どんな関係があったのでしょうか。
今回はこの二人の関係について調べてみました!
二人の出会いは?
小さいときから芸能界にその身を置いていた吉岡秀隆と流星のようにこの世界にその名を轟かせた二人の出会いは一体どんなものだったのでしょうか。
実は、中学3年の時にアルバイト先でたまたま聴いた「シェリー」に彼は鳥肌が立った。と吉岡秀隆が語っています。
1988年、尾崎豊の唯一のテレビ出演になったフジテレビの「夜のヒットスタジオ」の楽屋に訪ねていったのが出会いだったとのことです。
どうやらそこからの付き合いのようですね。
どのような関係だった?
「オレのことを兄と思ってくれていいよ」と本人から言われるほどの仲だった。
出典:http://ja.wikipedia.org
この一言だけでどれほどの仲の良さか大体想像できてしまいますね!
中には
酒豪の尾崎豊と明け方まで飲んで、ケンカして、朝方のゴミ捨て場によく尾崎を捨てていたというエピソードも。
たしかにゴミ捨て場で寝ていたエピソードは有名ですが、吉岡秀隆が捨てていたなんて。
それでもまた飲み歩きにいくときには一緒だったのでしょう。
本当に仲がよかったのですね。
そして、今でも尾崎豊にもらったネックレスをプライベートでは常につけているとのことです。
尾崎豊は、当時のスタッフに「吉岡はいい。あいつはいい役者だ。あいつは気になる」と話していたとの話も。
出典:http://blogs.yahoo.co.jp
そんな尾崎豊にかわいがられていた吉岡秀隆は、尾崎豊に弟のように可愛がられ、スタッフや友人に紹介する時に「俺の弟だ」と紹介するようになり、その友人は本当の腹違いの弟かと思ったと彼に言ったそうです。
軽く触れただけでもこれらのエピソードからどれほど仲がよかったのかが覗えますね!
しかし、そんな兄弟とも悪友とも、親友ともいえる関係にも終わりの時はやってきました。
1992年、尾崎豊死亡。
吉岡秀隆は何を語るのでしょうか?
吉岡秀隆から尾崎豊への弔辞
弔辞
初めて尾崎さんに贈る文章が弔辞になるなんてこんなにつらいことはありません。
アイソトープの尾崎さんの部屋でこの文章を書きました。尾崎さんのいないあの部屋にも、僕ひとり押しつぶすには充分な思い出がつまっていて、それでなくとも、ままならない体がいよいよどうにもなりません。
尾崎さんがいなくなって人間の涙はとどまることを知らないことを知りました。
自分がこんなにもちっぽけで無力なことを知りました。人は悲しみに出会った時、眠れない日々が続くということも知りました。尾崎さんは何度眠れない夜を過ごし、どれだけの涙をながしたことでしょう。
転んでも転んでも立ちあがり、走り続けて行こうとする尾崎さんを悲しいぐらいに僕は好きでした。自分の一番生きたい時間を一番自分らしく生きた尾崎さんを僕は誰よりも誇りに思っています。
聞く人の人生そのものを変えてしまうほどの歌を自らの命をけずるように伝えようとする尾崎さんは、僕に表現するということの本当の意味を教えてくれました。何かを恐れ、前へ進めない時、僕の背中を押して大丈夫、大丈夫といって笑いかけてくれました。
人が本当に評価されるのは、その人が死んだ時なんだろうなといっていました。尾崎さんのことを、誰が何と言おうと、僕が知っている尾崎さんは、もうこれからは誰からも傷つけられることなく僕の魂の中で生きていくのです。
尾崎さんは人一倍寂しがり屋だったから、これからはみんなの一人一人の胸の中で静かにゆっくりと休むことでしょう。
尾崎伝説は、はじまったばかりなのです。
最後の最後まで言えなかった言葉を贈ります。
尾崎さん、ゆっくり休んで下さい・・・・・。
この弔辞は、「Say good-by to she sky way」という当時のマネージャーや尾崎のお兄さん等の文章を載せて出版した本に、吉岡が尾崎豊の追悼式で読んだものがそのまま載せられているそうです。残念ながら、現在ではこの本は絶版となっているそうです。
吉岡秀隆からの献歌
尾崎さんが亡くなって2年たった1994年の映画「ラストソング」にて主演を務めた吉岡さん。監督からの指示でギターを練習し作曲作詞をしており、それが劇中歌・主題歌として起用され大ヒットを収めています。
実はこの曲「ラストソング」は尾崎豊さんに捧げた歌だということです。
いかがでしたか?
仲のいい兄弟のような、悪友のような、親友のような関係の二人。
できることなら、年をとったこの二人が並んで談笑しているところを見たかったですね。
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