尾崎豊の母親『絹江さん』の死因は何だったのか?

尾崎豊のお母さん(母親)の名前は『尾崎絹枝』さんです。

尾崎豊が亡くなる数ヶ月前に亡くなったのです。

芸能事務所『アイソトープ』の仕事を手伝っておられました。

尾崎豊の死因は謎に包まれていると言われますが、母 絹枝さんの死因はなんだったのか?調べてみました。

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尾崎豊 母親『絹江』さんの病気は?

こちらの尾崎豊のお兄さん 康氏の著書に書かれていました。
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弟尾崎豊の愛と死と

尾崎豊のご両親は、岐阜県高山市の出身。

父の健一氏より5歳年下の絹江さんは、1957年に東京へ状況し結婚されました。

 

ご両親ともに勉強家で、お父さんは自衛隊事務官の仕事をしながら明治大学の夜間部へ、お母さんは大学入学資格検定のために勉強されていたのです。

 

1960年東京都町田市にて兄 康

1965年東京都練馬区にて弟 豊

誕生

母は病気がちで入院をすることもありました。病名は原因不明の脊髄の異常だといわれています。

父 健一さんの著書によると、結婚して半年くらいたった時に髄膜炎(ウイルス性の病気)にかかり、意識を失うくらい激しい頭痛がするので、そのたびに入院をされていたということです。

 

尾崎豊さん母の性格は?

(中学入学時の尾崎豊と母 絹江さん)

 

核家族だった尾崎家にとって、子育てをメインで担当していた母からの影響は強いといえます。

兄 康さんの著書によると、お母さんはとても社交的で明るい方だったようです。

  • 友人知人も多かった
  • 路上での立ち話も好き
  • 仕事場でも雰囲気づくりの中心にいるタイプ
  • 冗談をよく言った
  • PTAの役員もしていた
  • 勤め先が倒産し、社長が雲隠れしたとき、殺気立った債権者をなだめすかしたという。

 

 

ただ、対外的には社交的ではあるが、一人になると沈鬱に思い悩むことがあり、終生不眠症に悩まされて睡眠薬は欠かさなかったということです。

 

尾崎豊 目覚めゆく魂 母と子の物語

 

尾崎豊の性格は、イメージとは逆でとても社交的で明るかったといわれます。

中学校時代も人気者の副会長だったと。しかし、一方でナイーブすぎる性格も彼を悩ませていた。

 

尾崎豊はお母さんの性格に似ていたのかもしれませんね。

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尾崎豊 母の死因は?

1991年(平成3年)12月29日(日)

埼玉県朝霞市の朝霞駅の階段で倒れ、救急車で運ばれ亡くなったのです。

この日、お母さん(絹枝さん)は、兄 康さんの子供(孫)にクリスマスプレゼントを買ってやるために、午後3時に成増駅の改札で康さんの奥さん(嫁)と子供(孫)に会う約束をしていたのです。

 

12月の寒い中、家から朝霞駅までスクーターで行き、朝霞駅のホームへの階段を降りたところ、下から2.3段目でうずくまった。

駅員が気づき事務室に連れて行く。

ろれつが回らなくなっている中で、嫁に連絡をしてほしいと駅員に頼んだのです。

病院へ運ばれ救急処置を受けました。呼吸はしていましたが、心臓は止まっていた。心臓の血が固まっていて注射器でも抜き取ることはできなかったと言われます。

享年61歳。

 

若い頃から激しい頭痛に襲われて入院することがあった絹枝さん。血圧も高めだったということ。

実家にはつい最近服用したらしい『救心』という心臓の薬があったので、お母さん本人は心臓の異常を感じていただろうと言われます。

【第2類医薬品】救心製薬 救心 

 

医者の話しだと『要は心臓が停止したので死んだ』ということだったそうです。

*尾崎豊さん兄の著書より

 

尾崎豊さん母のお墓

 

尾崎豊さんのお母さん 絹枝さんは埼玉県川越市の霊園に永眠されています。

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