尾崎豊さんは1987年末に逮捕され拘置所に入っていた時に、当時交際していた繁美さんにプロポーズを綴った手紙を送っていました。
その手紙の内容はこちらの著書に書かれています。
⇒「親愛なる遥いあなたへ―尾崎豊と分けあった日々」尾崎繁美著はこちら
拘置所から出所してきた尾崎豊さんはしばらくして朝霧市の実家で繁美さんと一緒に暮らし始めました。
そして1988年3月12日の繁美さんの20歳の誕生日の日に、尾崎豊さんと繁美さんの家族と一緒に、出所祝いと誕生日祝いをされました。
場所は飯田橋近くの中華料理店『摩天楼』
現在はあるかわかりません。
婚約指輪
そのお祝いの会場に行くまえに、池袋の西武デパートの宝石売り場で、尾崎豊さんは「婚約指輪どれがいい?」と言って68万8千円のダイヤモンドの指輪を突然買ってくれたそうです。
繁美さんがこんなに高い指輪はいらないよと言ったが「次は指からはみ出すくらいのやつを買ってやるから」と言っていたと。
尾崎豊のヤキモチ
この頃から、尾崎豊さんが
繁美さんへすごくヤキモチを焼くことが増えてきたといいます。
何かにつけて「●●やったら結婚してくれる?」という尾崎さんに、繁美さんは「じゃあ、結婚したらヤキモチ焼かない?」と聞くと、「うん、絶対やかない。しげみが俺のものになってくれたら安心するし、約束する。じゃあ結婚しよう」と即決。
羨ましいようなエピソードですが・・・
入籍日は
1988年5月12日
尾崎豊さんと繁美さんが初めて出会った日のちょうど2年後だったのです。
大安を選んでこの日に決定し、本駒込の出張所に婚姻届を提出されています。
時間は、午後2時55分。
秘密の入籍だった
尾崎豊さんの芸能事務所に相談してからの入籍が普通の流れですが、急遽 入籍(結婚)することにした尾崎豊さんは事務所にも内緒でした。
その入籍した日に、同じ事務所のハウンドドッグの大友康平さんも結婚式をあげたのです。
その式に呼ばれた尾崎豊さん。
繁美さんも一緒に会場に連れて行き、酔った尾崎さんが事務所の社長に結婚したことを話そうと言いだしたので繁美さんが今日は人の結婚式だからやめようと言い聞かせたということ。
[cc id=7 title=”アドセンス”]尾崎豊 妻の繁美さんの結婚披露宴の場所はどこ?
入籍をした5月12日の5日後に、身内だけの結婚披露宴を開かれています。
場所は東京 築地にある日本料理店『つきじ植むら』です。
ここは現在もお店があるようですね。
その時の写真は有名ですね。
2人だけの結婚式を行った『六甲山ホテル』のチャペル
新婚旅行中に立ち寄った六甲山ホテルのチャペルの前で、2人だけの誓いを立てられています。
場所はこちら
六甲山ホテルは現在もあります。
私は、高校時代から繁美さんに憧れておりました。繁美さんのようになりたいです。繁美さんのようになるべく努力しております。繁美さん、尾崎豊さんの死を乗り越え、お元気でお過ごし下さい。
羨ましいなぁ
私は、高校時代から繁美さんに憧れておりました。繁美さんのようになりたいです。繁美さんのようになるべく努力しております。
きゅんきゅんするお話ですね。
尾崎さんがが亡くなった後、彼を知ったのですが、あの短い生涯で、最愛の人を見つけ、遺伝子を遺されことは、本当に素晴らしいことだったと思います。
彼の人生が、幸せなものだったことを、祈ります。
焼きもちやく尾崎豊!かわいいなぁー。
考えさせられますね❤